ヤマシタイズム?

先日 小学生と話していて、『先生は誠実なの?』という話がありました。
これについては、Facebookでちょこっとご紹介しましたが、初めて見た方向けにいうと…。

事の発端は、授業で無い時に、生徒の小学生が家の鍵が無くては入れない…という事から、HEARTSに助けを求めやってきて、親御さんに連絡がつく間、いつもの感覚で会話していた訳です。

この時、私は初めてこの言葉を言いましたよ。
( ゚д゚ ) < お子さんはこちらで預かってます

('A`) < 誘拐犯みたい

折角授業じゃない訳し、男同士。色々気兼ねなく会話したりしていた訳です。
普段、親に言えない事も、私になら色々話してくれる事もあると思うので。

そんな会話の中で、私がパワハラの資料をまとめていた時だったので、学校はいじめ等あるの?とか、そんな話をしてた時に出てきた『先生(私)は人として誠実なのか?』という質問があったんですね。
皆さんは、子供にいきなりこんな事を聞かれたら、なんて答えますか?

私が答えたのは

誠実であろうと思った事も、それを意識しようと思った事も無い。
不誠実の全てが悪いという事ではない。
ただ、困っている人を助けて、幸せになって、その人の笑顔見れた方がええやろ?

と答えました。

( ゚д゚ )答えがカッコええ!! と言ってくれました。

なので、イムズ(主義・流派・こだわり)というのを取って、トヨタイズムみたいな感じで、『ヤマシタイズム』を紹介してみます。
私の思考は全て科学的にしか考えてないという事です。

善悪という思考が、まさに悪

幼少期から、桃太郎でも何でもそうですが、昔から『正義の味方』というモノを見て育てられます。
それは、何をもって正しいというのか、色々なシーンを想定して解説している子ども向け本というのが絵本であり、映像化されたのがアニメという事になります。

『善悪』というのは、そもそもは表意一体のモノで、それをそれぞれの側面から捉えた1つの形に過ぎません。なので、

『悪』を否定する事は、『善』を否定する事にもなり
『悪』を肯定する事は、『善』を肯定する事になります

桃太郎の話が、まさに分かりやすい例えですが、桃太郎側の立場で物事を見れば、あの物語は成立しますが、鬼の目線でのシナリオが何一つ書かれていません。
鬼が何故、村を襲う必要があったのでしょうか?もしかしたら、鬼は友好を築く為に村に行ったのに、人が未知のモノに対して理解しようとせず、先に殺戮を繰り返してしまった。生き残った鬼は逃げ場が無く、鬼ヶ島に家族を引き連れて逃げていったという過去があるかもしれません。

こうした情報の断片の一部だけを見て判断を下すというのは、今のネット社会にありがちな事で、新聞やテレビなどの、歪曲に歪曲を繰り返した情報源のさらに一部だけを見て、判断を下す、そして炎上するという事が日常的に繰り返されています。

これが私がテレビを見ない理由です。情報を知りたいなら、その道を長く研究している論文を読めばいい。
それが一番手っ取り早く、真実に近づく方法だから。 

とはいっても、多くの人は活字を嫌います。
私も決して、活字が有効な情報の有効手段だとは思いませんが、今はそれがベターなら仕方ありません。
私のBlogもこうして、活字に頼らざる得ないのも実情です。
ビデオにすれば、もっと伝えられますが、編集時間が膨大でとても気軽に書けません。

こうした情報の一部の側面だけを捉えて、良い悪いと安易に判断し、その操作された正義。
論理的に考えられた正義ではなく、感情による正義が横行すると、秩序が保てなくなります。

これが怖い事なんです。
一方的な目線でそれを正義。つまりは正しい と教える民衆の思考が恐ろしい。

それを実行してきたのが、宗教戦争であったり、魔女狩りであったり…なんですね。
正義の名のもとなら、残虐に人を殺しても、何をしても良いという
『正当化された悪』
わかりやすく言うと、そういう事でしょうか。

偶然にもタイのCMでこんな動画を見つけましたのでご紹介します。


『善悪』というのは、元は1つの要素をさらに無理に分解し、どちらか1つを取るという事です。
善悪を付けるという事そのものが、新たな敵と味方を作るという事になり、争いを生み出します。
天国と地獄というのも同様です。

ただ、凡人や民衆を動かすには都合が良い言葉だし、それに翻弄されて、デモ化しやすいというのは事実です。なので、リーダーや政治家といった、上に居る人間が使いたがるんです『正義』という言葉を。

そして、話す相手の知性が低い場合や、緊急性を要する場合、その理由を説明するよりは、善悪で説明した方が効果的であるというのもあります。
例えば、子どもが道路に飛び出し、切迫している段階で、論理を説明するよりは、感情に訴えかけて、何が善 なのかを伝えた方が良いという事です。

まとめ・例えると…。

正義も悪も、モノは全く同じもの。捉えている側面・角度がただ違うだけ。
太陽があれば、そこには、光と影が生まれる。どっちが正しいという事ではない。光がある所は食物が育つかもしれない。でも、日が強いと、人は日陰に入ろうとする。
『日向』も『日陰』も、元は太陽という存在が生み出したもので、そこに日向が正しい!日陰が間違っている!と論議する事自体、愚かな事だという事。

という例えだと想像しやすいでしょうか。

善悪が無い世界

小学生に続けて、私が説明したのが
『人が幸せになった笑顔見た方がええやろ?』
というのが、それに対しての答えです。

『善悪』の区分が無いという事であれば、何を指標にすればいいのか。
そんなに難しく考える必要はありません。

『幸せになる』という事が目的で生きているなら、従順にそれに従えばいいというのが私の理屈です。

人間という動物を特別に捉えようとするからおかしな事になります。
イルカ・象・ライオン・魚・虫に至るまで、命を与えられた動植物の全ての根源となる動きを知れば知る程『善悪』という概念等存在しない事がわかります。

なぜ、他の動植物は、六法全書も無ければ、文字も数字も扱えないのに、家族を守り、ファミリーの為に命を犠牲にしてまで仲間を守る、他利己的に行動し、秩序とバランスを保ち、他の動植物との共存がスムーズにいくんでしょうか。

なぜ、人はこれ程、高度な文明を持ちながら、他の動植物との共存に苦労するんでしょうか。
ましては、同族との共存すらままならない。

その1つは、私は『善悪』による判断 というがあるとも思います。
敵と味方を 作る という考え方ですね。 それはバラバラの個体を1つにまとめ上げる、組織論としては一番使いやすい手法です。政治家もよく使いますよね。
かくいう私も、実は営業トークや戦略の時に、何も無い所に、この『敵(悪)』を生み出し、相手を動かすという手法を使ってきました。
だから、この『善悪』の感情を相手に植え付ける事による力を知っています。

半面、これによる副作用もあります。 それは生み出された不安という名の悪は 消える事がありません。
1つの不安を消せば、新たな不安を生み出します。

まさに、ガンが転移するかのように。

では、こうした『善悪』を使わず、発展性を持たせる為には、どうしたらいいかというと、1つの指標を見てればいいという事になります。
それが、全ての動植物共通の『幸せになればいい』という事です。

その幸せとは、自己の幸せの為には、他の幸せも同時に叶えなければ、自己の幸せにつながりません。
自分だけが幸せで、周りが不幸な人たちに包まれていては、本当に幸せにはなれません。

それを、小学生にわかりやすい言葉で言うと

『他の人の笑顔を見てる方がええやろ?』 という言葉に集約される訳です。

1つの指標を実現するのなら、手法は問わない。
正解らしきものは1つ。でも手段は幾万とある。何をするかという手段より、どうありたいのか…という目的を意識して時間を過ごす事になります。

例えば役所仕事の場合、市民を幸せにするという事以上に、手段となる行政手続きを優先します。
市民をもっと幸せにする事は、何もお金も手間をかける事ではなく、頭を使えばいくらだってできますが、それしません。
これまでの手法と手段を最優先します。

反対に、ディズニーランドを例にすると

ディズニーには、礼儀作法や接客において、サービスを提供する人間として、またはアトラクションの操作方法や、緊急時のゲストを守る最低限のマニュアルはあると思いますが、一般企業のような、マニュアルというのはありません。

ディズニーにとっては、『ゲストにハピネスを届ける』というのが指標だからです。
全スタッフがその1つの指標に向かって、自分が何をどう考えるべきなのかを個々に判断しています。
時にマニュアル違反な事であっても、それがゲストのハピネスに繋がる事なら、それを行います。

これが『善悪』が無い世界の例えです。

善悪はデジタル処理的な短絡的
アナログ処理な人間だからこそ…

これまでの話を少しまとめながら、図解してみます。
善悪の判断を下すというのは、図で言えばこういう事です。

HEARTSの生徒さんなら、お分かりですよね。 そうExcelのIF関数がまさにそうですよね。
問題が発生した毎に、それに正誤を振り分ける考え方です。
それは、一見して合理的かもしれませんが、思考の域が非常に狭い世界です。

では、善悪が無い世界とは、どんなものか。

こんな感じ。。。

全ての可能性が同時に存在する世界。
青な事もあるし、赤な事もある、その両方である事もある。
何が正しいという事ではない。1つの可能性という存在。

ちょっと図にするとわかりやすいですか?
対面して会話しながらだと、もうちょっと色々な説明ができるんですが、こういった形を成さないモノを言葉で説明するのは、ちょっと難しいですね。
また、人によってとらえ方も違うでしょうし。

なので、本当はこの記事書かないでおこうかなと思ったりもしたんです。誤解される位なら、言わない方がいいだろうなって…。
でも、なんで書いたか… ('A`)えっクリスマスやし。
クリスマスって、 愛 な日 やん( ゚д゚ ) って事です。

デジタルでできる事が増える中で、アナログである人の役割は何か。
それは、一律的なYES・NOに従う事ではなく、全ての可能性にフォーカスを当て、これまで『正しさ』という名の『手段』に固執する事ではなく、『目的』となる『どうありたいのか?』から物事を考える事が必要なのではないかと思う訳です。

この様に書くと、なんか精神面的な話をしているように勘違いされると非常に困るのですが、最初にも言った様に、私は科学的合理性がある事しか考えないし、他に興味が無いのです。
そんな私が書いているという事は忘れないでくださいね。

これはメンタル的な事ではなく、仕事においても同様なのです。
良い仕事を生み出す為には、時にルールを無視する事も必要です。そのルールとは、本当に必要な最優先事項のルールなんでしょうか?
ルールだからと一様に守っているだけですか? その守るべきルールは、どういう過程で生み出されたものなのか?考えて従ってますか?

子ども達に『常識を疑え』という事を言う事は非常に簡単な言葉ですが、それを日常の中にフィードバックさせる事は非常に困難です。ましてや、大人相手だと、ほぼ不可能に近い領域です。

仕事に対する働き方改革も、当然にこのこれまでの常識を疑う事から始めなければなりません。
それは、漠然と周りのスタッフに迷惑がかかる…とか、これまで無かった…という、小さな善悪で判断せず、全ての可能性の中で、どうやったら、可能か…を考える必要があります。

リーダーであればあるほど、経営者であればあるほどに、柔軟性が必要です。

『善悪』と考えるのは、こうした仕事の質にも直結する思考です。
相手に…部下に期待を抱きすぎて、叱咤する事もあると思います。 親が子に怒るのも同じです。
でも、本当に守りたい、育てたいと思う相手なら、ずっとその人と過ごしたい・働きたいと思うのなら
一時的な感情ではなく、一緒に幸せになれる様に、考えてみようぜ! と話してみて下さい。

全ての可能性を動員すれば、余程の事でない限り、問題だと思えるものは、解決できるはずです。

学校でも、生徒にいじめがイケない事だと教える事よりも、どうすればクラス全員が最高に楽しい1年になれるのかを一人ひとりが考えれば、イジメというモノ、そのものが存在しなくなります。

余談ですが、今スターウォーズしてますよね。

スターウォーズの『帝国軍』というのは、混沌とした銀河の乱れを取り除き、文明を安定させ、銀河の秩序を守り、平和を目指すのが、そもそもの目的です。
これに対して『ジェダイ(反乱軍)』は命の秩序とバランスを守り、禁欲的な平和組織という事になります。

帝国軍側は当然思う訳です。なぜ平和を目指してるのに、一部暴徒があばれ、平和の秩序を乱そうとするんだ!まさに反乱だ!(=反乱軍)という感じです。

元は銀河を平和にしたいだけなんですが、それを善悪にすると、こうなるって事。
これは、北斗の拳でも同じです。
ラオウとケンシロウは、共に世界の平和を望んだ物語です。
ラオウは、暴徒化する民衆を力をもって抑止して平和を叶える。
ケンシロウは、人の心に元々ある優しさを育み、問題がある場合はそれを取り除きながら平和を叶える。(白血球みたいな動き?)

結局はみんな目指すべき所が1つなのに、断片的な情報だけを見るから、正義だ悪だと言ってるんですね。非常にクローズドな目線での思考です。

違いを理解しあう。それは人にも当然にデキる事です。
分かりあおうとすることは、根本的な問題解決になります。

少なくとも私は、ミーティングで、そういう会話の仕方をするし、それによって、相手の能力を引き出し続けてきた訳なので、役職者の方…。
怒るよりも、寄り添うという感覚で、次は部下がミスした時、見てあげてくださいね。

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